グレートピースメーカー
昨日アニメのヴィンランド・サガを視聴しました。私は原作も読んでるんですがアニメも原作同様見応えがあって面白いですね。
視聴したのはシーズン2の22話で、クヌートへの謁見の交渉に臨んだトルフィンが従士にボコられまくるという奴隷編ラストの名シーンが描かれてました。
このシーンは作中で何度か言及されてる「ノルドの男の名誉や見栄」に対するアンチテーゼになってます。いくら殴られても、いくら嘲られようとも、真っ向から耐えることで目的を果たしたトルフィンは腕っぷしがナンボのノルド社会と決別できたと言っていいでしょう。
非暴力を貫くのって暴力を用いるよりも遥かに高度で困難な戦いであり、個人間ならまだしも団体を相手にそれを成すのは偉業と言えます。
非暴力を貫いてインド独立の父と呼ばれるようになったガンジーは、イギリス人を憎むのではなく、その思想を憎めと語ってます。このような「敵などいない」という考え方はトルフィンの父トールズも口にしてますね。
ネイティブアメリカンの部族連合「イロコイ連邦(ホデノショニ)」設立の立役者にデガナウィダという酋長がいます。彼は争いが絶えない部族間の関係を平和的に取りまとめ、そのときに作られたイロコイ憲章は後に合衆国憲法を起草したベンジャミン・フランクリンに影響を与えたとされてます。その功績を称え、デガナウィダは「グレートピースメーカー」と呼ばれます。
古代の日本でも似たようなことがあったようです。日本神話にコトシロヌシという神が登場します。記紀では大国主の息子とされてますが、出雲口伝によると出雲王国の副王ヤエナミツミだったとされてます。
ヤエナミツミは言葉の力で各地の部族を説得していき、束ねることに成功したと伝えられてます。その功績が讃えられ、「言代主」(後に事代主表記になった)という名が与えられたそうです。
暴力を否定した先に「敵などいない」というものがあるのだとすれば、逆に暴力を振るう側からすればこれ以上はた迷惑な思想はありません。敵がいなければ暴力を振るうことができませんし、それまで暴力を振るうことで成り立たせてた全てのものを捨てなければなりませんから。
今回の話は入り口がアニメ・漫画ですが、今は世界中の人々が様々なコンテンツに触れられる時代です。多くのものに触れ、多くのものを吸収した次の世代が何を選択していくのか、楽しみですね。