古今東西のゲームに興じるブログ

  
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今日、山に行ったんですけど斜面にソーラーパネルが大量に設置されてました。車を運転してたんですがソーラーパネルのエリアを越えて、少し走らせるとまたそんなエリアが出現して、みたいな感じ。さすがに阿蘇のメガソーラーほどではありませんでしたが。

エネルギーてのはたしかに生活や仕事の維持には必要なもので、その生産を担うという点でソーラーパネルを否定するつもりはありません。だけど木々をなぎ倒して、地面を抉って、杭をぶっ刺して、そんな場所をいくつもいくつも山に作るんじゃねえよと。1つ2つならまだアレですが、あんなでかいのいくつも設置されてるのを目撃した日にゃさすがに何してくれちゃってんのって。土地活用?活用じゃなくて殺しちゃってるじゃん。

というのも最近、土中環境に関する本を読みまして山に対する畏敬の念を深めたところだったんです。いくつかあるんですが中でも「よくわかる土中環境(高田宏臣著)」というのが写真やイラスト多めでとてもわかりやすくて老若男女にオススメ。

山を下れば川や大地が広がり、その先は海で当然全部地続きです。それらの下を流れる水脈が滞りなく行きわたってる状態であれば健康な環境となり、漁場が豊かになるそうです。海洋民族が船乗りのくせに山を崇拝してたのも頷けます。

山の役割は巨大なポンプ施設で、雨で浸み込んだ土中の水分を樹々の根から上へ逃がし、余計な水分は川底へ送ります。その機能が異常をきたしてると土砂崩れや洪水といった災害が起きやすくなります。それを防ぐには土、木、岩など山を構成する材料、ひいてはそこに住まう虫や菌のようなミクロの世界が健全である必要があります。知れば知るほどとんでもないシステムです自然って。

我々の足裏と接地する地表から水脈が始まってると私は認識してるんですが、そこに人工物を建てたり埋没させるということは水脈を断つこと、つまりその地を窒息させることを意味し、全てを滞りなく循環させ、なおかつ人の営みとシンクロさせるには山から海に至るまで緻密な都市設計が求められます。昔はそのような”読み”をできる人間がトンネル工事や里の建設に携わっていたそうです。未だ続く地鎮祭で土地にごめんねするのはそういう仕組みを理解してたということかもしれません。

せっかくそんな凄い環境システムを広域に有する日本列島で、それを操縦できる術も見つけていたのにこの有様よ。などとぼやいたところでストップすることは無いでしょう。少なくともソーラーパネルの代替のものが登場しない限りは。一応ペロブスカイト電池など次世代の太陽光発電に関する研究は日本でも進んでます。テクノロジーの進歩が改善に繋がるといいな。

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