文化は経済を超えられるのか?
総合地球環境学研究所さんのYoutube動画、第85回地球研市民セミナー・SRIREPプロジェクト「文化は経済を超えられるのか?」を視聴しました。
この動画では主にインドネシアにおける零細小規模金採掘(ASGM)がもたらす水銀汚染問題に対する取り組みを紹介し、そこから文化促進に関する話題へと移っていきます。
ASGMとはその名の通り小規模なグループによる金採掘を指しますが、そのほとんどは違法性を伴うものだったりします。平たく書くと闇採掘ということになりますが、そこで得られた金鉱石を製錬(アマルガム法)するにあたり必要となるのが大量の水銀です。
水銀は当然ながら環境、人体へのリスクを孕んでいますのでASGMに従事する人々は環境汚染と健康被害に身をさらしてることになります。こんにち我々が使用する多くの機器に金が使用されてますがその一部にはそのような背景を持つ金が使われてるという実態があるわけです。
そんなリスキーな採掘が止まぬ一因として挙げられるのが従事者の経済事情。生活費を得るためリスクは承知の上で採掘に当たってるそうですが、彼らの本音は「本当はやりたくない」とのこと。そういった状況下でASGM従事者にストップを突きつけるだけでは根本的な解決とはなりませんので、新たな仕事の斡旋といったサポートが必要になってきます。
そのためには諸問題に取り組む研究者と地域のコミュニティとの連携が必須。さらにそこへ民間企業や行政が参画するという”協働”が必要になってきます。動画後半では実例を交えその仕組みについて説明されてますが、とりわけ強調されてるのが上下関係や利益追求の排除。当事者とそれを取り巻く人々との間でフラットな関係性を構築することの重要性が説かれてます。一方でその取り組みの難しさが話しっぷりから伝わってきました。
早い話ASGM従事者の多くは現代社会の負の側面によって生み出されたと捉えることができます。現代社会の主軸と化してる上下関係や利益追求の姿勢。そこからもたらされた問題を解決に導くためにそれらを排除するというアプローチはある意味当然と言えるのかも知れません。
このような構造はASGM問題に限らず身近なところにも転がっているような気がします。経済という枠組みから外れたところでいかに人や環境と向き合うか。その先に繋がりを見出せたらおカネの問題なんて怖くないのかもしれません。